知的発信をめざす市民運動
                                                              一関・文学の蔵元会長 及川 和男

一関市で「文学の蔵」づくりという市民運動が起きている。大槻文彦、島崎藤村、井上ひさし、色川武大らゆかりの文学者を偲ぶ文学館であると同時に、文学を経路とする知的情報発信基地をめざそうというものだ。おもしろい地域おこし運動だと、全国的にも注目されている。
さる5月18日から3日間、その資金づくりの目的もふくめて「井上ひさし日本語講座」が開かれた。東京から北海道までの広い範囲から、三百数十名の受講者が集まって、好評を得た。「蔵はまだ建たなくても、運動はできる」といって取り組んだ企画行事であったが、この第1回の知的発信は、見事に成功したといえる。「助っ人」井上ひさしさんの力に負うところ絶大であり、この市民運動にかかわる人々の頑張りも大きかった。
いったい「文学の蔵」とは何なのか。この運動の中にどんな意味を見いだせるのか。運動の源流からかかわってきたわたしだが、できるだけ客観的に述べてみたい。
明治時代、一関には東北屈指の「熊文」という酒造家があった。そこの総領息子の英語の家庭教師として、若き島崎藤村が、短期間ながら来たことがある。明治26年のことである。仲介したのは、友人の文学者北村透谷であった。この「熊文」は、明治末に没落したが、その酒蔵群は、変貌したとはいえ今に面影をとどめ、世嬉の一酒造という酒屋さんのものになっていた。そこの社長の佐藤晄僖さんという方が、4年前、最大の仕込み蔵を改造して「世嬉の一酒の民族文化博物館」を開き、たちまち一関の新名所になった。
ここに、文豪藤村を記念して文学碑を建ててはどうか、という動きが起きたのである。私は他の文学仲間と、この相談に加わった。とりあえず案内板が建てられ、「島崎藤村と一関」というリーフレットも出来た。そうこうしているうちに、市内大町の都市計画事業で、古い商家の土蔵がとりこわしになることになった。その蔵は、明治初期のもので、珍しくも三階建であった。「もったいない。何かに活用したい」と佐藤さんは思い立ち、それを引き取った。「文学の蔵」づくりは、ここから始まったのである。
「文学の蔵」という発想の素地には、大きく三つの要素があるように思われる。一つは、その酒蔵に直接かかわって島崎藤村と、戦後の一時期一家で寄寓していた井上ひさしさんの存在がある。そして学者大槻家の存在。二つには、一関には、出身並びに勉学においてゆかりの現代作家が十数名の多きを数え、それぞれ個性的な活躍をしていることである。地方小都市としては異例の輩出ぶりで、これは前から話題になっていたことだ。藩制時代から文化盛んな地で、わが国近代初の国語辞典「言海」を著した大槻文彦博士の存在、自由と進取に富んだ地域性から、文芸(芸術)を軟弱な遊び事として排斥するどころか、楽しがり面白がり、その当時者を励ます地域の気風がこうした現象の背後にはあろう。
そして三つ目に、昨年2月一関に移住し、大作に向かおうとした色川武大さんの存在と、その衝撃的な急死である。考子夫人から遺品のほとんどが市に寄贈され、「文学の蔵」づくりは加速された。これとともに、一関市の及川舜一市長の、運動への深い理解と励ましも見逃せない。
地域おこし、ということは、今やどこの自治体でも流行のような現象になっている。大分県の「一村一品運動」にはじまった同様の動きも全国に広がった。また観光開発や、文化センター・博物館・美術館などの文化施設づくりも、画一化さえ感じさせるほどの広がりだ。それぞれに切実な地域振興への営みなのだが、いずれも功利の追求が全面に出る。
それと比較したとき、「文学の蔵」はかなり趣が違ってくる。そもそも文学は、功利を目的とせず、常識に従う通俗を排す。「余が風雅は夏炉冬扇のごとし。衆に逆いて用いるところなし」と芭蕉が言っているとおりである。しかしながら、WHAT IS  LIFEと、HOW TO LIVEを追求する文学は、人生にとって功利を越えて深い意味を持ち、精神世界に大きな役割を果たす。
文学をテーマとする市民運動には、直接的な功利性はない。ふつうの地域おこしの範疇には入らない。しかし今、人間性の危機を乗り越えて、人間生活の質を復興させなければならないと意識されるとき、この「文学の蔵」づくり運動は、その当事者の予測を越えて、思いがけない力をはらみはじめている。そして自治体に対しても、文化行政の創造という刺激的な課題を提起している。渦中にいて、まことに面白い運動なのである。
わたしのような作家もいれば、実業にたずさわる人も多い。運動の仕方で意見が分かれることがしばしばあるが、心をひろげての討論の中からユメはふくらみ、人と人との新しい結びつきが生まれている。創造的想像力が鍛えられ、「得」にならない運動がもたらす「得」が見えてくる。人間はやはり一人では生きられない。必然的に人間同士の連帯を求める。この希求は現代の飢えでもある。その飢えを満たそうとする運動、ここに「文学の蔵」づくりの最大の意味があるように私には思われるのである。
蔵には蔵す(かくす)という意味がある。「文学の蔵」がいつ建つかは分からないが、わたしたち自身気づいていない蔵された可能性を探求する運動の末に、やがて功利もついてこよう。さまざまな地域おこし運動も、それにかかわる人々のつながり方こそ重視される必要があるのであろう。金では量れない価値が人間にはあるのであり、その心の鉱脈の発掘を人々は求めていると思われてならない。 

                                                                                                                

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